2016年03月22日

こだわりの地下鉄通勤

 八木山動物公園駅は日本で一番、標高の高いところにある地下鉄駅だそうです。ここから、私の勤務先である仙台整形外科病院の最寄りの駅である六丁の目駅まで23分、iPadでニュースを読んだり、読書をしているとあっという間です。思えば、13年前、当院に赴任した時、地下鉄ができれば、酒が入っても歩いて帰れるなと思ってから、本当に長い時間が経ったものです。この間には、地下鉄建設継続か中止かという市長選もありましたし、5年前の東日本大震災では地下鉄建設計画がすっ飛んでしまうのではと心配もしました。
 震災のため予定より半年遅れの2017.12.6に開業した仙台市営地下鉄東西線ですが、車両は建設費用の節約もあって、南北線の車両より一回り小さくできています。中が狭いのかなと思っていましたが、荷棚を減らしたこともあって、さほど狭くは感じません。全長は13.9kmで、停車駅は八木山動物公園駅から、青葉山、川内、国際センター、大町西公園、青葉通一番町、仙台、宮城野通、連坊、薬師堂、卸町、六丁の目、荒井までの13駅、終点から終点までの所要時間は約26分です。道中、八木山から青葉山への間と、国際センターから大町西公園への間で広瀬川を渡る時にトンネルが途切れます。視界がぱっと開いて、青葉山の木々、広瀬川の川景色がとても鮮やかに映ります。新緑の頃はさぞかし綺麗だろうなと期待しています。
 この地下鉄、私のために作ってくれたようなものですので、さっそく定期券を購入し、通勤を車から地下鉄に切り替えました。所要時間はどうかといいますと、door-to-doorで約50分、ラッシュ時に街中を運転した時くらいの時間です。自宅から地下鉄駅までのバス時間、六丁の目駅から病院までの歩きの時間が追加されるのはやむを得ません。そんなことで、朝早めに病院に行かねばならない時、夜遅くなって早く食事にありつきたい時、八木山に着いてもバス時間まで間がある時などは不便さがつのります。しかし、先日の大雪ではやはり地下鉄の良さが光りました。なにしろ雪に強い。バスも近距離往復が多くなったせいか、遅れが少なく完璧です。新聞では、平日の乗客数が最高だったそうです。
 六丁の目駅から病院までは13分位の徒歩(ほぼ1000歩で、厚労省の「一日1000歩増やそう」のキャンペーンにも叶っているようです)となります。歩いてみると、これまで知らなかった店、道路が多々あり、これまで気づかなかった病院周りの様子を再発見しています。また、運動不足になりがちな体のためにも、僅かでも役に立つのではとも思っています。しかし、大きな荷物を持って歩くのは大変です。一度で懲りて、以来持ち物を小さなショルダーバックひとつにしています。さらに今は冬まっただ中ですので、寒さ対策も重要です。コートを長めのものにしたり、マスクを着けたり、帽子を被ったり、風よけの眼鏡をかけたりと設備投資もかかりました。
 市内各所を移動しなければならない時は、車にはかないません。たまにですが、車を運転すると、改めて車通勤の快適さを実感されます。もちろん、渋滞のない時ですが。何しろ座ったままで、door to doorで我が身を運んでくれる訳ですから。おまけに、暑さ、寒さには、ほとんど無関係です。車通勤の温さを実感します。車の購入費、メンテナンス代、ガソリン代、(時には高速代も)がかかっているのですから、当たり前といえば当たり前ですが。
 この地下鉄東西線ですが、開業1ヵ月の利用者をみると、1日平均54000人と、需要予測8万人の63%であったそうです。確かに、東の終点である荒井駅周辺を見ても、まだ街の体裁をなしていません。ただ 南北線が出来た頃は泉中央駅周辺もそうだったといいますから、いずれは東西線も仙台の大動脈となり、荒井駅周辺も様変わりするものと期待しています。それにしても、大震災時の大津波のために荒井駅から東側の海まで、住めるところがほとんど無くなったことが恨めしい限りです。
 これから暑くなると、通勤時の服装には、また別の工夫が必要となるものと思われます。しかし、せっかくできた東西線ですので、廃止などということにならぬよう、こだわって地下鉄通勤を続けるつもりでいます。その後の感想はまた次回に。
posted by 佐藤哲朗院長 at 15:54| 日記

2014年03月23日

『 電球をめぐる陰謀 』

3年前の東日本大震災の時には、街中が停電となり、夜に明かりがあることの大切さを改めて感じたのがつい昨日のことのようです。街を明るくするのに役立ってきたのが電球ですが、これを発明したのは約130年前の1881年、発明王のトーマス・エジソンです。これは皆さんご存じですよね。では、この電球の寿命はどれ位かご存じでしょうか。

電球なんてすぐに切れると思っている方も多いと思いますが、カリフォルニアのリバモア市の消防署には1901年からなんと100年にも亘って切れずに点いている電球があるといいますから驚きです。実際、電球が発明された直後からこれを長持ちさせる研究が盛んに行われ、1920年頃には連続点灯が2500時間に達し、その後10万時間という優れものさえあったようです。しかし、現在の点灯時間は1000時間位のようですので、何か変だなと思うのは私だけではないと思います。実は、ここには隠された話があって、消費者は電球が切れなければ新しい電球を買いませんので、1940年頃に世界の主な電気企業が結託して意図的に1000時間が経ったら切れるようにしたというのです。

このような事例は、電球だけでなく、電化製品の多くに似たような話があります。一寸壊れて電気屋さんに持って行っても、初期診断料に5000円、その後は内容によってと言われ、一寸機能が良くなった新製品への買い換えを進められることもしばしばです。また、パソコンでは年々新しくなるソフトに対応するため買い換えが必要となり、おまけにまだあまり使ってもいないプリンター等の周辺機器までをも買い換える必要が出てしまいます。病院にとって必需品の医療用機器も、10年も経つと部品の供給ができなくなりますという悲しいお知らせを受け、備え付けの機器が働かなくなっては大変ですので、泣く泣く新しいものに交換ということになります。

このように、新製品を投入し、意図的に既存の製品を時代遅れにして、市場の拡大を図ることを「意図的老朽化」というのだそうです。大量生産、大量消費の経済構造の中では、需要がなければ需要を作り出してでも製品を作らないと経済が行き詰まってしまう訳で、当然その中では、必要のないものも作られ、使われずに捨てられ、ごみの増大だけに寄与しているものも少なくありません。子供のころに壊れたラジオから部品を取り出し新しいラジオを作ったことを思い出しますと、何とももったいない、こんなに資源を浪費して良いのかと思ってしまいます。

かのガンジーは「地球は人間の必要とするものを満たすには十分だが、強欲さを満たすには小さすぎる」と、脱成長社会の必要性を唱えております。地球をゴミで埋め尽くさぬよう、意図的老朽化にだまされない、環境にやさしい経済成長を促すような賢い消費者を増やすことが必要と感じた次第です。

(NHK海外ドキュメンタリー「電球をめぐる陰謀」をみて)
posted by 佐藤哲朗院長 at 16:01| 日記

2013年02月26日

『 仙台市医師会学術奨励賞を受賞して 』

 この1月に仙台市医師会から学術奨励賞を頂きました。それに対する謝辞を仙台市医師会報に書き留めましたので、それを転載させていただきます。

 この度は仙台市医師会学術奨励賞を頂戴し誠に光栄に存じます。ご推薦いただいた諸先生、永井幸夫会長はじめ審査いただいた諸先生に深く御礼申し上げます。この賞は私が長年に亘って携わってまいりました脊椎外科診療に対して頂戴したものと解しております。その意味で、これまでの診療、研究に対してご指導ご協力いただきました東北大学整形外科脊椎懇話会の諸先生にも感謝申し上げたいと思います。

 振り返って、私と脊椎外科との出会いは、卒業間なし、麻酔科研修の2年目に西多賀病院で国分正一先生(東北大学名誉教授)が始めていた脊椎外科に出会ったことに始まります。このことがきっかけで、私は整形外科に進むことになり、以後、整形外科の研鑽と共に、大後頭孔から仙骨までall roundに熟せる脊椎外科医を目指して臨床に励んでまいりました。当時は脊椎外科自体がまだ黎明期ということもあって分からないことだらけであり、頸椎から腰椎にいたる様々な疾患の臨床研究に取り組ませていただきました。

 脊椎の病気といいますと、7割が腰関連であり、3割が頸椎関連であります。しかし、私が特に長年に亘り取り組ませていただいたのは、頸椎と腰椎の間にある胸椎部脊髄症です。これは後縦靱帯骨化症、黄色靱帯骨化症、椎間板ヘルニアなどによって脊髄が圧迫され下肢に麻痺が生じてくる疾患です。今は大分popularな疾患となりましたが、30数年前は、CTもMRIもありませんでしたので、診断が困難で、疾患の実像すら見えていない状態でした。画像診断法も不十分な脊髄造影だけでしたので、脊髄を圧迫する病変がみられると下るのは脊髄腫瘍程度の診断だけでした。また、骨化性病変に対して十分な診断もなく手術が行われていたため、術後に両下肢麻痺という話も珍しくはありませんでした。そんなことで、国分先生と共に取り組み始めた訳ですが、手術頻度は今でも年間10万人に1名程度ですので、なかなか症例が貯まらないのが悩みの種でした。病態を整理し、治療法を確立するのには時間がかかり、自ずとライフワークとなってしまいました。

 中でも、黄色靱帯骨化症につきましては、故若松英吉名誉教授に病理学教室に出向させていただけ、CT、手術を通してみてきた黄色靱帯骨化の病態を病理学の立場からも検討することができました。いってみれば、病理学特有の正常と異常の狭間から疾患を見直すことできた訳です。とかく基礎医学が臨床から乖離しがちな昨今ですが、医学においては絶えず臨床を意識した基礎研究を行うべきと感じております。

 さて話は変わりますが、私が日々の臨床にあたって心がけておりますことは、「患者さんとともに歩む医療の実現」であります。患者と医師の関係をアルピニストとガイドの関係になぞらえた方がおりましたが、私もそのようにありたいと思っております。患者と医師が手を取り合って病に立ち向かうためには、患者さんにご自分の病気をよく理解していただき、医師が専門的な立場からその手助けをすることが大事であります。そんな意味で、仙台整形外科病院に移りましたからも、仙台市医師会の市民講演などで脊椎の話をさせていただけたことは、大変ありがたいことと感じております。今回の受賞にあたりましては、そんな点もご評価いただいたと聞き及んでおり、恐縮至極であります。

 還暦を過ぎた医者に学問の奨励はもういらないように思いますが、後進育成の奨励と考えて、ありがたく受賞させていただくことに致しました。また幸いにして、目も、手も動きますので、これからも私でお役に立てる患者さんには手を携えて力をつくして参りたいと思っております。今後とも、皆様のご指導ご鞭撻、宜しくお願い致したいと存じます。
posted by 佐藤哲朗院長 at 17:46| 日記

2011年12月15日

東日本大震災と私

 平成23年3月11日(金)14時46分、三陸沖で巨大地震が発生した時、私は手術室から更衣室に向かうところでした。非常用電源によって明かりは確保されており、手術室に戻ろうとしたのですが、揺れはいっこうに治まらず、天井が落ちてこないことを願いながら、その場を動けずにおりました。しかし、この時、手術室では2件の脊椎手術が進行中であり、終了直前の方では、対側の私が手を下ろしたため、患者さんが腹臥位台ごと手術台から落ちそうとなるなど、大変なことになっていました。
 病院自体の損傷は軽度でしたが、病棟内では部屋のドアが壊れる、戸棚が倒壊するなどの被害がみられました。また、併設してある管理棟の被害は大きく(後に、半壊と認定)、壁などにも亀裂がみられ、カルテ庫のカルテ収納棚はほとんど倒壊しました。しかし、幸いにも怪我をされた患者さんや職員はおりませんでした。
 手術室のラジオでは仙台にも10mの大津波と報道していましたが、三陸に来る津波は想像できても、平野を襲う津波は想像できず、本当かなと半信半疑で聞いておりました。しかし、手術室の方が一段落して外来に降りて行くと、外来フロアーのテレビの前には人だかりができ、仙台平野に押し寄せる津波の様子が放送されておりました。テレビで津波が来襲する姿を目の当たりにすると、ラジオからは想像もできなかったその恐ろしさを実感することができました。やはり、映像の力はすごい。振り返ってみると、若林区の海岸を襲った津波は病院からわずか1km先の東部道路まで到達していたわけで、まさに危機一発、東部道路様々です。東部道路がなかったら、まず、うちも被害を免れなかったように思っております(ちなみに、当院は仙台市若林区の中でも、仙台駅と海岸線のほぼ中間地点、海岸線から直線距離でほぼ5km、津波の防波堤となった東部道路から1kmほど西に行ったところに位置しています)。ところで、この東部道路、建設の際には高架橋にする案もあったそうです。しかし、とある先生が津波の防波堤になるようにと堤防形式を主張したことで現在の姿になったそうです。その慧眼に感謝です。
 水道が通じていることが分かり、非常用電源もあり、暖房は無理であるものの、病院機能の維持は可能でした。次は食料です。震災当日は、非常食と売店に残っていた食料品で患者さんの給食を賄ったのですが、館内には職員、避難者もおり、その方たちの分を含めた翌日からの食糧確保が問題となりました。電話での連絡がとれませんでしたので、翌日には職員が若林区役所を直接訪れ、現状報告と食料確保の道筋を付けました。しかし、支援物資の安定確保はままならないとのこと。幸いにも米の備蓄があったので、少しは暖かいものと、職員の家庭から炊飯器を集め、炊き出しを行いました。入院患者さんだけでなく、病院に泊まり込んだ職員(住居が被害にあったり、ガソリン不足など、私もその一人でした)、避難者の分もですから、量も半端ではありません。休日状態の手術室のリカバリー・ルームが急遽厨房に早変わりしたのでした。
 病院機能の維持にとって頼みの綱がジーゼルの非常用電源でした。しかし、燃料となる重油は十分になく、節電しても4〜5日間しかもたいない状態でした。少しでも節電と、院内のあちらこちらに煌々と輝く非常灯を消して廻ったのも、思い出です。重油補給の手配は震災直後から行っていたのですが、市から重油を管轄している県の方に通じておらず、病院に来ている回線が津波被害に遭った海岸地帯に延びていたため停電が長引き、5日目には残存重油量が風前の灯火となりました。明日には重油がゼロになってしまうという3/15(火)、昼から非常用電源車が病院前に待機、なかなか、工事が始まらないと思ったら、すぐそこまで電気工事が進んでいるとのことで、結局、電気が通じたのは同日夕刻、なんともドラマチックな点灯でした。
 重油の供給も安定し、暖房が可能となり、通常業務に戻ったのは地震から2週間たった3月28日のことでした。地震の際に、部屋中に散乱し床を覆っていた書類の類を片付け、留守にしていた自宅の書棚も片付け、「さーて」と思った矢先にまた地震が来たのが4月7日の深夜です。地震を起こした大地のずれはもう無くなったであろうと思っていたのは、私の勝手な思い過ごしでした。実際には、ひずみがひずみを呼び、大きな余震が起こりうることは、至極当然のことだったのであります。しかし、折角片付けた書類や本がまた散乱してしまったのを見た時、そのダメージは初回よりも大きく、今度は片付ける気にもなりません。とりあえず、棚に納めて、そのまま現在に至っております。
 震災直後から、私はガソリンもなく、連日、災害対策会議を毎日行う必要があったため、2週間ほど院長室で昼夜を過ごしました。連夜、寒い部屋で毛布にくるまって、ヘリや救急車、自家発電機の音を聞き、余震を感じておりました。過ぎてみれば一瞬の出来事のようでありますが、電気が来るまでの5日間は殊のほか長く感じました。もっと大変な目に遭っている方が沢山いたわけで、その足下にも及ばない苦労ではあったのですが。
posted by 佐藤哲朗院長 at 16:25| 日記

2011年01月20日

『 「楽しい」は健康のもと 』

 家族でいる時、スポーツをしている時、音楽を聴いている時などと、生活の楽しみ方は人によって様々です。

 最近の厚生労働省の研究では、生活を楽しんでいる意識が高い男性は、脳卒中や心筋梗塞(こうそく)などの循環器疾患の発症、死亡リスクが低いとの調査結果を出しています。これは40〜69歳の男女約8万8千人を約12年間、追跡調査したもので、開始時点のアンケートへの回答から、生活を楽しんでいる意識が「高い」「中程度」「低い」の3グループに分け、循環器疾患の発病や死亡との関係を検討しました。

 これによると男性のグループでは、意識の高いグループを基準にすると、中程度グループの発症リスクは1・20倍、低いグループは1・23倍、死亡リスクはそれぞれ1・15倍と1.61倍と高くなっていたそうです。意識の高いグループは、運動習慣のある人が多く、喫煙者が少ないなど生活習慣に違いもみられたため、こちらの影響もあるようです。

 一方、女性ではこのような関連性は見られず、その理由を男性の方がストレスの影響を受けやすいためではないかと考えています。

 ところで、人間が楽しさや興味、心地よさを感じるのは、頭の中でドーパミンという成分が働くためということが分かってきています。

ドーパミンは、分泌されると脳を覚醒させ、集中力を高め、楽しさや心地よさといった感情を生み出す働きをもっています。さらには、快感を得られる行動の動機付けの際にも分泌されます。

 例えば、暑いときに上着を脱ぐと涼しい、といった風に「上着を脱ぐと涼しい=快感である」ということを学習していると、その動機付けの際にも分泌されるのです。

ただし分泌しすぎる状態(お酒を飲んだ時など)になると依存症や幻覚症状を引き起こし、逆に少なすぎると行動を起こせずパーキンソン病にもつながります。

 なにかとストレスの多い社会ですが、生活を楽しもうと意識し、楽しむ方法を自分なりに見つけ、
脳内ドーパミンの量を適正化しておくことが、特に男性には大切なようです。
posted by 佐藤哲朗院長 at 00:00| 日記

2010年01月20日

『 ロコモ 』

 最近、患者さんからロコモって何―に?と聞かれることが多くなりました。ロコモとはロコモーティブ・シンドローム(ロコモーティブ症候群、運動器症候群)の略称で、ロコモーティブ(locomotive)は英語の運動、移動を表すlocomotionの形容詞で、多くは機関車の意味で使われています。

 長寿大国を誇る日本ですが、既に2005年頃から75歳以上の方が21%以上を占める超高齢社会に入ったとされています。いくら寿命が延びても寝たきりでは仕方がありません。そこで登場してきたのが健康寿命です。介護の世話にもならずに、元気に暮らせることのできる年齢を指し、寿命との間には7〜8年の差があります。介護が必要となる原因としては脳血管疾患(27%)、認知症(19%)、老衰(12%)がよく知られていますが、骨折や関節の病気が併せて18%を占めていることも驚きです。

 体を自分で動かすのに必要な組織には骨、関節、筋肉、神経があり、これをひとまとめにしたのが運動器です。骨折や関節の病気はこの運動器の障害ともいえます。したがって、健康寿命を延ばすためには、この運動器の機能を保っておくことも必要なわけです。このため、日本整形外科学会では、この運動器の機能が衰えることにより、日常生活での自立度が低下し、介護が必要となったり、寝たきりになる可能性の高い状態をロコモと呼び、その予防を呼びかけているわけです。最近の研究では、40歳以上の国民の約2/3、推計4700万人もいることが明らかとなっていますし、原因としては、骨粗鬆症、変形性膝関節症、腰部脊柱管狭窄症などが上げられます。

 ロコモかどうかのチェックは簡単です。次の7項目のどれかにあてはまるかどうかです。
@ 片足立ちで靴下がはけない
A 家の中でつまずいたり、滑ったりする
B 階段を上がるのに、手すりが必要である
C 横断歩道を青信号のうちに渡れない
D 15分くらい続けて歩けない
E 2s程度の買い物を持ち帰るのが困難
F 掃除機の使用、布団の上げ下ろしなどが困難
 どれかに該当すればロコモとなりますので、ロコ・トレーニングを始めてもらうことになります。

 ロコ・トレーニングは開眼片足立ちとスクワットからなります。開眼片足立ちはそばに必ずつかまるものがある場所で、足を床に着かない程度1分間ずつ、1日3回上げます。スクワットは深呼吸のペースで5〜6回を1日3回行います。なお、膝に故障がある方は医師に相談してから行って下さい。

 ロコモのチェックとロコ・トレーニングで寝たきりや要介護にならずに健康寿命を延ばしましょう。
posted by 佐藤哲朗院長 at 00:00| 日記

2009年01月25日

『 UMAMI 』

 お正月料理の味付けはいかがだったでしょうか?お雑煮の味付けでもめたご家庭はなかったでしょうか?

 ご存じのように、味付けの基となる味覚の基本要素には甘み、塩味、酸味、苦みがあります。それぞれ甘みは糖分を主体にしたエネルギー要素を、塩味はミネラルの要素を、酸味は未熟な果物、腐敗食物などを、苦みは毒物などを舌で感知して、食物が体内に入る入口で、体に必要なもの、危険なものを感じ取れるようになっているわけです。そして、近年では、この4つの味覚に加えて、料理のうまさを直接的に表現する「うまみ」が加わっております。

 この「うまみ」については、1908年、日本の池田菊苗博士が、昆布でだしをとると料理がうまくなることに着目し、昆布だしの中からうまみ成分の抽出を試み、グルタミン酸として分離したことに始まります。かつてどの家庭にもあった、味の素がそれであります。その後、かつお節からイノシン酸(小玉新太郎、1913)、椎茸からグラニル酸(国中明、1957)が抽出されるなど、日本での研究が突出していたため、「うまみ」は日本人にしか感じられないものとされていたこともあったようです。しかし、現在では世界中で、たんぱく質に対する味覚として広く認識されるようになり、うまい言葉がないためUMAMIとして表現されることが多いようです。

 これらの「うまみ」成分ですが、アミノ酸系であるグルタミン酸などと、核酸の一種であるイノシン酸などに分かれております。これらを一緒に使うと、うまみを増すことが経験的に分かっておりましたが、その機序は謎のままでした。この現象は「うまみの相乗効果」とも呼ばれており、最近、アメリカの研究グループがその機序を明らかにしましたので、紹介したいと思います。

 舌にある「うまみ」の受容体は二枚貝のような葉を閉じて虫を捕らえる食虫植物の「ハエトリグサ」の形をしているのだそうです。そして、グルタミン酸は「ハエトリグサ」が開く際のちょうつがいの部分に、イノシン酸は先端の開閉部にそれぞれ結合するのだそうです。イノシン酸によってこの受容体が閉じてしまうと、グルタミン酸はその中にとどまってしまう。このことによって「うまみ」が増大する、すなわち「うまみの相乗効果」が生じるのだそうです。

 食事の時の「うまい」「まずい」といったことが、生体内での実に巧妙な分子レベルの反応によって成り立っていることに驚かされます。
posted by 佐藤哲朗院長 at 12:13| 日記

2008年11月20日

患者様と患者さん

 15年ほど前のことである。 開業されたばかりの先生の診療所に応援に行った時、「○○様、診察室にお入り下さい」とのアナウンスを聞いた。当時、研修医に医療はサービス業だからこれからの医師は患者さんにホテルマンのように対応することも必要ですよと話していた私であったが、「○○様」という呼び方には耳慣れない、そこまで言うかという違和感を覚えた。


 その後、市内の病院を中心に患者さんへの接し方についての見直しが進み、多くの病院が患者さんの呼び方を「患者様」へと変えていった。しかし、私自身は妙にへりくだっているような、またいかにも患者さんを医療費というお金を抱えたお客とみている感じがして、そのまま「患者さん」と呼ぶことを続けてきた。6年前にこの病院の院長に赴任することになった時、考えたことのひとつが、この病院での呼び方をどうしたものかであった。「患者様」と呼ぶことによって医師と患者の関係の見直しを計れるのではないか、患者様と呼ばないとサービスが悪い病院と思われるのではないか、さりとて実感のこもっていない呼び方は勧めたくもないしである。


 そんな折り、所属していたメーリングリストに渡辺という先生が、「お店は(専門知識をもって)モノを売る仕事ですから、そういう表現でしょうが、医療はモノではなく、共同作業と考えてはいかがでしょう。山に登るニーズがあって、山岳ガイド(プロ)を訪れる。専門の知識と確かな技術でガイドし、保護し、共に汗をかき山頂を目指し、リスクも共有し、無事に日の出を迎えるゴール。ここでは”心の友”ですね。」と患者と医師の関係をみごとに表現していた。全く我が意を得たりであった。かねてから、患者さん自身が自分の病気を知らなくて治療など成立する訳がないと思い、病気の説明に時間を割いてきた私であったが、ガイドとして患者さんと共に戦うと考えれば、時間の割きがいもあろうというものである。やはり、友は「さん」。以来、当院では皆に「患者さん」と呼ぶことを勧め、今に至っている。


 ところで、「様」と「さん」であるが、広辞苑によれば「様」は氏名・官名・居所などの下に添える敬称となっており、「さん」は「様」が転じたもので、「様」よりくだけた言い方とある。「さん」は漢字でどう書くのかとみてみたら、日本語大辞典には「様」となっていた。呼び名に「さん」を使っても、文書では「様」となる。SAMAがSAMとなり、いつの頃にSANへと転じたのであろうか。
 「様」と「さん」の差は微妙であるが、どうも客と友人位の差はありそうである。患者さんの病気に立ち向かうにあたって、共に手を取り合って行く姿を理想的と考えたい。しかして、当院の理念にも「共に歩む医療を行います」のフレーズを入れさせていただいた。
(2005仙台市医師会報掲載文、一部訂正)

posted by 佐藤哲朗院長 at 11:00| 日記

2008年11月19日

当院のホームページをリニューアルしました

こんにちは。院長の佐藤哲朗です。

このたび当院のホームページが丸5年、10万アクセスを超えたのを期にリニューアルしました。

今までの内容のほか、看護部発行の院内新聞“みどりのかぜ”に寄稿された患者さんの原稿や看護部と私のブログなどが新しく加わりました。

今後とも当院のホームページをよろしくお願いします。
posted by 佐藤哲朗院長 at 16:57| 日記